【整理するべきものとは?】『アンチ整理術』森博嗣

今回は、森博嗣先生の『アンチ整理術』という本を読んだので、その中で面白いと感じた部分を紹介します。整理術というタイトルですが、モノの整理だけでなく、人の生き方について言及されており、タイトルに反して頭の中がすっきりとするような内容でした。是非本記事の後に本書も読んでみてください。

はじめに

近年、「ミニマリスト」という言葉が流行り部屋にものを極力置かないという人も、身近で増えてきたのではないでしょうか。本屋へ行っても「断捨離」であったり、「掃除」「整理術」といったキーワードの本が少なからず存在していますし、モノを所有しないという考え方に価値を見出す人が増えてきているように感じます。(サブスクリプションや、シェアリングなどのサービスもその流れを後押ししてそうです。)

そんな今日では、見慣れないフレーズのタイトルの本を見つけました。

『アンチ整理術』

時代を逆張りしたようなタイトルですが、どういうことでしょうか。整理術にアンチテーゼを唱える人は一般的には少ないように思うのですが。

そもそも、一体どのような人がこの本を書いているのでしょうか。

著者:森博嗣とは

著者は、森博嗣(もりひろし)先生です。肩書は工学博士であり主に推理小説やエッセイなどを書く作家でもあるという中々変わった経歴を持ちます。(理系文系どちらでもいけるのかいとツッコミ。)

森博嗣先生のプロフィール(ご本人のホームページ森博嗣の浮遊工作室より引用)

  • 1957年12月7日 愛知県出身
  • 血液型:B型
  • 職業:工学博士(国立大学工学部建築学科で勤務していた)
  • 趣味:工作、イラストなど
  • 研究者としての実績:専門は『粘塑性体の流動解析手法 』(液体の流れ方を計算、予測する方法)
  • 小説家としての実績:1996年に推理小説『すべてがFになる』でデビューし、それが第一回メフィスト賞を受賞
  • その後、大学勤務の傍ら猛スピードで作品が発表されていく。(約360冊にもおよぶ)

私は、森博嗣先生のファンであり小説を読んで、森先生の本業の工学博士ならではのたくさんのトリックに何度も騙されてきました。

そんな森博嗣先生が「整理術」というテーマで本を書くということで、どのように考えるのだろうと、そういう意味でも注目して読んでみました。

読むとさすが森博嗣先生。たくさんの気づきがありました。

整理整頓は要らない

森博嗣先生は前書きで既に結論を述べています。

まず、森先生は整理整頓などはしないといいます。

整理などしないというのがご自身の整理術であると述べています。整理整頓をする時間があれば研究や、工作に時間を使うとのこと。したがって、断捨離も不要なもの(一度読んだ本や見たビデオなど)は捨てるが、その他の買ったものは取っておくそうです。またご自身、ご高齢にさしかかっていますが、終活もせず自分の墓や葬式はいらない、遺産は残すから捨てるなり売るなり子供に任せると非常にさっぱりとした考えをしています。

以上のように森先生は、ものの断捨離はいらないと述べていますが、その後に気持ちの部分での断捨離は必要であるという考えも述べています。(子どもに借金や面倒な人間関係を残さないなど)気持ちが整理されているがゆえにさっぱりとした考えをしているのだと思います。

整理についての先入観を整理

そもそも、なぜ整理整頓されている状態が「綺麗」で、されていない状態が「汚い」なのでしょうか。はたまた、整理整頓されている状態が「良い」で、されていない状態が「悪い」というような先入観はどこから来るのでしょうか。

森先生は人がものを散らかすのは自然の法則であると述べています。犬や子供のように先入観のない状態ではモノをよく散らかすと思います。もちろん大人でも忙しさに身を任せたり、気が付くとモノを散らかしています。つまりモノが散らかっている状態が、自然な状態であると言えます。(物理学でいうエントロピィが増大するという大原則。)

逆に整理整頓がされている状態は人工的な状態と言えます。人が、その人工的な状態を綺麗だと言うのはなぜでしょうか。

森先生は整理整頓という行為が生命を感じさせるものだからではないかと述べています。この部分について、解釈は難しいですが、生命は基本的には生まれてから絶えず朽ちていく存在であり、健康的な状態というのは自然な状態に逆らうような、いわば作られた状態(整えられた状態)であります。その生命に対する感覚とモノの整理整頓がリンクしているのではないかという解釈です。

つまりモノの整理整頓をすることで、生命の朽ちていくという自然な流れに逆らうように、ある意味そのように錯覚し、生きていく気力ややる気が湧いてくるというわけです。

森先生は整理整頓の意義というのは、「元気になる」という精神的な部分にあり、それ以外のよく言われがちな、「仕事ができるようになる」「発想が生まれる」というような効果は勘違いではないかと持論を述べています。

精神的に元気になることで仕事への取り組み方に影響したり、集中力が続いたりという感覚(あるいは錯覚)がそのような勘違いに繋がっているのかもしれません。

森先生に言わせてみれば、人間のやる気や元気自体が幻想であるとのこと。

思考を整理(記憶の雲)

私は、読書が趣味で読む本といえば、ノンフィクションものが多いですが、最初は本を知識として頭に蓄積させようと躍起になって読んでいました。今思うと学生時代のテストに向けた詰め込み学習のような感覚が残っていたのかもしれません。

しかし、今は知識を得ることよりも「気づき」に注目して本を読んでいます。この本からこの気づきを得たという感覚を、積み重ねていくことに面白さを感じるようになりました。

森先生は【思考に必要な整理】という章で

言葉を記憶するのは時代遅れであると述べています。

言葉を知っていれば、テストで点が取れて頭が良いと評価された時代もありましたが、これからの時代はAIの方がその点では人間よりも優れていることは明らかです。

固有名詞を覚えていなくても、ぼんやりとキーワードを覚えていればスマホで検索して固有名詞は出てきますし、何かを発想する際も連想には雲のようなぼんやりとした記憶の方が向いていると森先生は述べています。

この発想による「先見の明」というものはコンピュータのシミュレーションで得るには難しいといいます。(データが不足していると正確に予測できない。)

この発想に必要な記憶の雲というものは知識ではなく教養であり、その場ですぐには出せないもの、つまりお金でいう資産であると森先生は指摘します。(一方で知識とは貯金であるとしています。)

この教養というものは学校のテストでは手に入らないものであり、インプットだけでなくアウトプットをして頭を整理しながら頭を使う練習をしなくてはいけません。

個人的には読書中にぼんやりと考えている瞬間は瞑想に近い状態で何か思いつくことが多いように思います。

情報の多い現代では、より思考の整理が必要ではないでしょうか。記憶の雲という考え方を参考に従来通りではなく、現代の状況に合わせた記憶法や思考法にシフトしていく必要がありそうです。

私は小説など創作物を近いうちに作成してみたいと考えています。創作の際に使う思考は、記憶の雲を辿りながらどこかに繋がる可能性が秘めていると予想しています。(知らんけど〜)

自分自身を整理する

自分とはどのような人間か、自分自身のことを整理できている人は理路整然としていて感情的にならず人から信頼されていることが多いように思います。

森先生は、「自意識」とは

仮想の他者、仮想の社会を自分の中に作ってしまうこととしています。

「自意識過剰」とはそれが強い状態を指し、たしかに意味が通ります。自分自身を考える際に、自分の中にある周囲の目を通して自分を見ているということです。

そして、SNSの時代である現代ではその周囲の目が不特定多数ということもあり、その中で本当の自分自身を考えることは至難の業ではないでしょうか。

森先生自身も、若いうちは自分はあまりにも散らかっていると感じ早く整えたいと考えたそうです。

その状態からすっきり片付いたと感じたのが50代になってからと述べています。その間は、研究やら周囲のことをあれこれと考えた結果、自分が整理されたと感じたそうです。

とりあえず立ち止まっていないでなんでもいいから考えるということが自分を整理するコツなのかもしれません。

そのうちに、モノの見方に影響し自身の理想が身の丈にあったものになったり、現実を理想に近づける方法も理解できてくる可能性はあります。

また、自分自身の感情のコントロールも必要です。

個人的には、問題に対してつまずいたり感情が高ぶっている時はなるべく寝ることを意識しています。寝て起きた時には、大抵すっきりして感情も落ち着き冷静に物事を考えられるからです。

自分自身が片付いてくると人から信頼され社会で生きやすくなると思いますし、自分自身の本当の目的に沿って人生を歩むことが出来そうです。

そのためにも一日の中で散歩したり、瞑想したりと定期的に自分のこと周囲のことを「考える」習慣をまずは作ってみるのも良さそうです。

また、スマホを自分の近くから遠ざけることも確実に必要でしょう。SNSによって自分自身で他者の目を通した自分を設定しているのであれば、スマホ依存症からの脱却が必要なのは明らかです。

最後に

本書は、モノの整理から話が始まり最後は自分自身の生き方の整理にまで話が進みました。

森先生は非常に論理的な思考を持ち、複雑なものや抽象的なものをわかりやすい言葉で説明しているためこの本を読んでみると、内容だけでなく「思考のしかた」についても参考になるのではないかと思いました。

森先生の部屋の写真が本書に掲載されていましたが、かなりごちゃごちゃしているのに、なぜか汚い印象は残りませんでした。

モノはごちゃごちゃしていましたが、完全に不要なモノが含まれていないような印象で、森先生の頭の中もこのような感じなのかなと。

まさに森先生の、「生き方は散らかっていない」。

その他にも森先生の推理小説や、啓発本が多数ありますので今後取り上げていきたいと思います。

本記事を通して興味を持たれた方は、是非森先生の著書も読んでみてください。

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