【サントリー創業者】鳥井信治郎とは 2023年新商品ビールも紹介

日本人なら誰でも知っている企業、プレミアムモルツや角瓶、ccレモン、BOSSなどの飲料を生産し飲料業界をけん引し続けているサントリーですが、その創業者である鳥井信治郎氏のことをご存知でしょうか。

鳥井信治郎氏が主人公として書かれた伊集院静著の『琥珀の夢』という小説は、明治時代に生まれた鳥井氏の幼少期から大正を経て亡くなる昭和までの生涯を通じて、酒造りに奮闘し、サントリーが日本を代表する企業となる様子が書かれています。

小説ということもあり、作中の展開などは事実に対して肉付けされた部分がありますが、鳥井氏の「行動力」や「幸運」が現在のサントリーへとつながっていることがこの本からわかります。

遡るとまず鳥井氏は、葡萄酒づくりに没頭し、何年もかけて赤玉ポートワインを作り、当時は前例がなかったヌードポスターを用いた斬新な広告方法で宣伝しライバルを押しのけシェアをものにしたり、

今は当たり前のように店先に並んでいるトリスや角瓶についても、鳥井氏が国産ウイスキーに着手したときは前例がありませんでした。

しかし、周りが大方反対する中、多額の資金を使って山崎蒸留所を作り、完成まで10年も20年もかかるウイスキーを、その間収入が入らない中、実際にやり切ったことは、結果として国産ウイスキーの代表格に上り詰めることにつながりました。

その後、鳥井氏のかねてからの念願だったビール作りの夢を鳥井氏の子の佐治敬三が引き継ぎ、孫の佐治信忠と続き国内ビールの中でも気品が漂うプレミアムモルツへとつながったのです。

本書を通して感じるのは、何事も「やってみなはれ」の精神が大切だということ。その精神は、世代を交代しても続いていきました。

ビジネスマンの自己啓発本としても読めますが、お酒好きな人はサントリーのルーツを知ることができ、そのことでまた違ったお酒の楽しみ方ができるのではないでしょうか。

本記事ではサントリー商品をいくつか、そのルーツとともにご紹介したいと思います。

最後に、新商品の生ビールも飲んでみましたので紹介したいと思います。



トリス・角瓶

トリイ・・・・か。そらたしかに鳥井の商品やな・・・。

「そや!それがええかもしれん」

『琥珀の夢』より引用

トリスは、鳥井の文字からできたネーミングです。

私が初めて飲んだウイスキーは手が届きやすい値段のトリスだったかブラックニッカだったか。

大学生や新社会人の頃は、安くて手が届きやすいトリスはハイボールにしてよく飲んでいました。

別会社ですが、後のニッカウヰスキーを設立した竹鶴政孝という人は、ウイスキーの父と謳われていますが、当時、本場のスコットランドに留学しウイスキー作りの先駆者として日本に帰国しました。

そこで、鳥井信治郎は竹鶴政孝をサントリー前身の寿屋に破格の待遇で雇い、ウイスキー作りを共に行いました。

竹鶴政孝は、山崎蒸留所の建設にも携わり、スコットランドでの実習を生かし、実習先で使用していた蒸留器に似たものを設置するなどスコッチウイスキーの伝統的なスタイルが伝授されたようです。

当時は、ウイスキーといえば輸入するもので国産ウイスキーは前例もなく、また着手するとウイスキーができるまでに数年を要するため、その間の収入をどのように確保するのかという問題や、蒸留所を作る資金も工面しなければならないため、時間と金を要する不確実で無謀な挑戦でした。

今でも大衆が飲む国産ウイスキーとしてまず思い浮かぶのはサントリーかニッカなのも、勇気と熱意でウイスキー作りに着手したこの二人をはじめ、その熱意についてきた従業員の方々のおかげなのです。


「ほう、これが今度の新しいウイスキーでっか。これ、瓶の色かと思うたら、ウイスキーの色なんだすな。角瓶いうんだすか。これまでの気取った感じやのうて、西洋はんの酒徳利みたいで、ええ感じやないか」

『琥珀の夢』より引用

角瓶も大衆から好まれて飲まれているウイスキーですが、トリスよりも値段が上がりますので、新人時代を少し抜けた頃に飲むようなイメージでしょうか。

美味しくて手も出しやすい価格帯なので、今でも多くの人から好まれているサントリーの目玉商品ですが、日本人の味覚に合わせたものにするために多くの試行がなされました。

白札や、赤札などのウイスキーを高価格で販売を開始するもなかなか売れ行きは伸びずに最初からうまくいっていたわけではなかったようです。

また、この時期は第二次世界大戦の時期で空襲などで蒸留所を失う可能性もありましたが、奇跡的に免れウイスキーの原酒を残すことができたという幸運もあってウイスキー作りを続けることができました。

そして、戦後には、特急ウイスキーのウイスキーオールドや、ウイスキーローヤルなど高級なウイスキーも飲まれるようになりました。


プレミアムモルツ

「けど、副社長、この味は日本人にはむかんで」

社長の敬三が首を振った。

「社長、いずれ日本人にわかる時が来ます。私は飲んでみてそう確信しました」

琥珀の夢より引用

鳥井信治郎は昔、独立前に小西儀介のもとへ丁稚奉公(今でいうインターンシップ?)していた頃に小西とともにビール作りに挑戦しています。

しかし、その当時(明治時代)は日本酒が主流の時代であり苦いビールの味を当時の日本人でわかるものはなかなかいない時代で、ビール作りはこの時代に挑戦をするには早すぎたといえます。

この後、鳥井信治郎は葡萄酒作り、ウイスキー作りと成功を重ねた後も、ビール作りについては晩年も意識しており、その後子の佐治敬三、孫の佐治信忠へと意志を継いでいきました。

そして、ついに佐治信忠の時代にそれが実を結ぶのです。

当時の日本にはない風味のビールを探し、ヨーロッパ各地のビールの研究が行われ、ドイツの100%麦芽の技術が取り込まれました。

それは、当時の日本人に味が合わないのではないかという懸念もありましたが、時代がついてくると信じた佐治信忠の勘は正しく今のプレミアムモルツへとつながります。

今では、お中元やお歳暮といえば、プレミアムモルツかエビスというイメージで大衆ビールの中でも少し品があるイメージもあります。葡萄酒、ウイスキー、ビールとお酒の分野でサントリーは成功していきました。


赤玉ポートワイン

「新しい葡萄酒の名前を、あの登っている朝陽の真っ赤っ赤で、お天道さんで、“赤玉”にしよう思うとんのですわ」

鳥井信治郎は、小西儀介の元を離れ独立した後何年もかけて自身が納得する葡萄酒を完成させました。

赤玉ポートワインは太陽をモチーフに命名されたようですが、寿屋洋酒店から次の会社名のサントリーも鳥井の字の前に太陽のサンの文字が用いての「サントリー」で、太陽はサントリーにとって縁が深いといえます。

また、サントリーが成功した理由の一つに効果的な広告方法がありました。

赤玉ポートワインが完成後、日本初のヌードポスターを用いた広告は当時では考えられないもので結果的に広告効果は絶大でした。

広告に関しては、例えばポスターを作るのに納得のいく赤色を出すまで絵師に鳥井信治郎は納得のいくまで徹底して描かせたりと妥協しない様子が見られます。

運の良さはもちろんですが、鳥井信治郎の酒作りから広告まで徹底した仕事ぶりがあっての成功だったということが分かります。


新商品サントリー生ビールトリプル生

つい最近、2023年4月4日に新商品ビール「サントリー生ビールトリプル生」が発売されました。

価格は、プレミアムモルツよりも低価格の中価格帯で手に取りやすいものです。

名前に「トリプル」という文字がありますが、新商品には製法にトリプルデコクション製法が取り入れています。

トリプルデコクション製法は3回の糖化工程を重ねていて、それにより濃縮した麦芽のエキスが糖化され、クリーミーで濃厚な味わいを持つビールとなります。

飲んでみるとたしかにクリーミーで美味しいです。

品名にサントリーと、改めて会社名が書かれていますが創業者の鳥井信治郎氏から始まった会社として改めて会社名を再確認してもらう意図があるのかもしれません。

今後も様々な挑戦と努力が行われてきたということを思い出しながらお酒を楽しんでいきたいと思います。


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