【お茶の見方が変わる?】『海を越えたジャパン・ティー』ロバートヘリヤー著

本日は、私たちの生活に欠かせない嗜好品であるお茶について、日本とアメリカのお茶の貿易を通してそれぞれの国の当時の様子が書かれた『海を越えたジャパン・ティー』という本を読みましたので、おおまかな内容を取り上げて紹介していきたいと思います。好きなお茶を飲みながら読んでみてください。

まずは、日本のお茶の歴史について、平安時代初期に、中国から取り入れられた文化の一つとしてお茶が流入し、上流層でお茶が飲まれたことから始まり、鎌倉時代に栄西が抹茶をもたらしたり、そこから時代を重ねるごとに禅の思想から影響を受けた「侘茶」のスタイルや、茶の儀式「茶の湯」など中国式の茶の様式が日本式の様式へと徐々に変化していきました。

豆知識
ちなみに、日本で広く飲まれてきたお茶は「番茶」になります。スーパーや自販機を見ていて、何となく緑茶のイメージがありましたが、よく考えると「茶色」が緑ではなく褐色をさしています。この現在ある日本のお茶=緑茶?というようなイメージもアメリカとの貿易を通して徐々に形成されてきたということが分かります。

アメリカでは、入植してきたイギリスからお茶がもたらされます。イギリスでは18世紀には、中国茶が安定して供給されていました。そして東インド会社が植民地に茶を売り、アメリカでもその頃、中国の緑茶や紅茶を著名人をはじめ飲んでいたとされていますが、じきに茶税法や茶自体をイギリスによる圧制の象徴と見るようになります。ただ、東インド会社から持ち込まれる茶の購入と使用を禁じたものの、茶の需要は高く密輸が横行したり、パリ講和条約で独立すると、よりアメリカ人好みの茶が輸入されるようになり、茶の消費は増えていきました。19世紀になり開拓地の西部にも茶が浸透していきました。

19世紀には、ペリー提督の使節団により、アメリカと日本の交流が開かれ、限られた貿易が認められました。商才に富んだ西欧の商人が日本茶に目をつけ、アメリカ向けに茶を着色し梱包した「中国式の日本茶」がアメリカへ発送されるようになります。

豆知識
最初に日本からアメリカへ発送された茶は、着色剤はほとんど使われていなかったが、自然な状態の茶は思うようにアメリカ人には受け入れられず、アメリカ人の消費者好みの緑色に着色するために中国人の指導者のもと、製茶を行った上で発送されたようです。

アメリカでの南北戦争後、日本茶が、「ジャパンティー」ブランドで中国茶と同価格で販売されるようになります。ジャパンティーがアメリカで受け入れられる理由の中に、アメリカで中国茶への着色剤使用などの不信感が募っていたという点が挙げられています。(ただ、日本茶もアメリカ好みに着色されたものでしたのでイメージ上の問題が大きかったようです。)

日本では、戊辰戦争後に明治政府が武士階級の解体に踏み切っていき、元徳川幕臣や川越人足など茶農家や茶箱のラベル作りのような茶産業にも流れていきました。

19世紀後半になり、茶産業を帝国事業として拡大を目指し、各地で開かれた博覧会で日本茶をアピールするも依然としてアメリカへの輸出が大きな割合を占めたままでした。そんな中、アヘン戦争の頃イギリスでの中国人への悪印象によりインドやセイロンの紅茶が市場で占める割合が圧倒的に高まりました。その後インドからアメリカへの紅茶に転向させるマーケティング戦略が進められていきます。

インドのマーケティング戦略もあり、日本茶への偏見により(以前中国茶への偏見から日本茶のシェアが増えたのと同じ理屈で)インドやセイロンの紅茶の市場での割合が増えていきました。その中で着色料など品質に対する規制が進められ、日本は博覧会などで本来の日本茶の魅力を伝え、アメリカでの市場占有率を取り戻そうと奮闘しました。

ここで、日本は煎茶が供給過剰になっていることに気づきます。1920年以降、アメリカでの輸出量が半分近くまで落ち込んでいたため、日本は自国内の都市部への販売拡大へと転じていきます。(都市部を対象にしたのは、農村部では依然として番茶などの茶の生産が続いていたため)しだいに煎茶は国内で日常の飲料として定着していき、ほうじ茶と玄米茶の登場により、選択肢も広がりました。

その後も、日本茶はビタミンCが豊富であるという健康効果を強調し戦時中国内へPRしました。そして太平洋戦争の勃発により、アメリカに定着したジャパンティーブランドが終焉を迎え、1943年には中央政府は戦争遂行に必要な食料を優先し、茶を減産するよう通達しました。さらに空爆により、茶の生産高はさらに減少しました。

戦後のアメリカ占領下で経済、政治、社会の改革に取り組み、茶の生産と輸出を再開させる計画も策定されます。1948年ごろには、茶の生産高も回復し増産に転じていきました。アメリカへも茶の輸出がされましたが以前のようには伸びず、煎茶を家庭市場向けに生産し続け今日では、日本で消費される茶全体の90%を占めています。

このように現在のお茶の消費傾向は明治期から続いたアメリカとの茶の貿易が転換期ともいえ、今でも大衆的な飲料として緑茶が親しまれているということが分かります。

以上が大まかな内容の要約になります。

緑茶がスーパーや、自販機でも多くを占めているのもそれらの歴史が残ってのことだと言えそうです。

それらを思い出して、緑茶を飲んでみると面白いかもしれません。

興味がある方はぜひ読んでみてください。