青森県つがる市に生まれた私は、昔から行ってみたかった場所がある。
しかし、行く機会がなくて行けなかった。
いや、あるいは恐れて行けなかったのかも知れない。
恐山に先日行ってきた。
知人が昔、恐山に行きなぜか具合が悪くなったと言っていた。
その人は今何をしているのだろう。今となっては連絡が取れない。そういえば、連絡をとるほどの仲でもない。
恐山は青森県下北半島の中央部に位置し、下北半島といえば地図で見れば形が鉞に似てるとか言われているが、本州の北端部分。恐山については、火山ガスが噴出し、湖の水質も酸性が強くウグイくらいしか生息できないと昔TVで言っていたのを記憶している。まるで生きるものを選ぶかのような、光と影、あるいは「死」を彷彿させる恐山。
27歳アラサーの私には、人生は長いのか短いのかまだ分からないが確実にくる「死」について考えてみたいと思う。
恐山の正面の駐車場に向かう途中に三途の川がある。
恐山は、あの世に渡る霊場である。
通常は橋を渡ることもできるようだが、通行止めとあった。これは「まだ生きろ」ということ。
ではなく、太鼓橋の再建のため通行止めになっているようで、たしかに三途の川を渡る途中で橋ごと落ちたら笑えない。(笑)
それにしても、この日は天気が良かった。
景色が綺麗に見え、家を出る前の恐れるような気持ちはどこへやら、清々しい気持ちになった。
奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)も、良い天気の元だと機嫌が良さそうに見える。
橋を渡るにあたり、渡り賃を払わないと奪衣婆によって、衣服を剝ぎ取られ懸衣翁(けんえおう)によって、衣服をかけた衣領樹の枝の垂れ下がり具合を見て生前の罪の重さを量られるようだが、橋が通行止めなので想像するにしばらく長期休暇ということで、暇を持て余しているかもしれない。ただ、時には休むことも必要だ。挨拶だけして次へ進んだ。
三途の川を過ぎて進むと立派な門が見えてくる。
高屋山、比叡山と並び、日本の三大霊場の一つ恐山菩提寺が奥に見える。
約、1200年前に、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が下北にたどり着き、地蔵菩薩を彫刻したとか。
恐山には、境内に温泉がある。「薬師の湯」「小滝の湯」「冷抜の湯」「花染の湯」である。
男湯、女湯、混浴があり温泉の泉質は白濁食で、酸性でピリッとしているそう。あまり長くは入れない。
私は、敏感肌男子なのでビビって入るのをやめたが、今思うと思い出に入っておけば良かったと思う。花染めの湯に。(いや花染めの湯は混浴風呂だった。誤解を生まぬよう訂正しよう。)
地面からは、火山ガスが噴出しており、ガスが噴き出ているのが目でも見えるし、硫黄の匂いもする。
クマに注意の看板もある。自然と一体のお寺である。
クマと鉢合わせたら、早速三途の川を渡ることになるかもなと思った。
ちなみに風車は、子供供養のもの。子供があの世でも遊べるようにというものである。
色々見て回ったが、冒頭で述べた知人の気持ちが分かったような気がする。具合が悪くなってきた。
というのも、恐らく火山ガスを吸いすぎたのだろう。なるほど、そういうことだったのか。霊的なものではなさそうだ。
具合が悪くなったが、ついでにお腹も空いてきた。何か食べようと思い、来た道を戻り門を出た。
食事処が敷地内に一件だけある。
中で私は山菜蕎麦をいただいた。
中に入り、左側にレジがあって、そこで先に注文して支払いを済ませ、席に着いた。水はセルフ。今までの人生、一人が好きだったので自分でできることは、なんでも自分でやってきた。だから問題はない。
山菜蕎麦は平凡かつ美味。また恐山へ来たら、確実にこの店へ入るだろう。
なんせお店が一件しかないのだから。
帰りに釜臥山(かまふせやま)展望台に行き、景色を眺めた。
水平方向に雲が見え、目下に地上の輪郭が見える。高い所からどこまでも続く景色を眺めた時、自分は何者でもなく、自由だと感じた。
それこそが私の生きる希望である。
鼻に微かに硫黄の残り香がついて回る。
ただ、さっきよりは気分も良くなってきた。
「死」について考えた20代の私は気が付くと、どのように「生きる」かを考えていた。
30代40代の自分はどうしているんだろう。
先を考えると不安もあるが、決して「恐れるべからず」これからも自由に人生を歩み続けたいとただ思う。
恐山について
開山期間 | 5月1日~10月31日 |
開山時間 | 午前6時~午後6時 |
入山料 | 大人1人500円 小学生・中学生1人200円 団体(20人以上)1人400円 |
アクセス | 青森県外からの方 →新幹線八戸駅からJR「快速しもきた」へ乗り換えで下北駅へ →下北駅から下北交通「恐山線」へ乗り換えで終点恐山バス停で下車 ※三途の川を先に見たい場合は太鼓橋前バス停で下車 http://www.0175.co.jp/s/index.html |